読書感想文が書けなかった推し活女の話
こんにちは、私です。
皆さんは感想文って得意ですか?
舞台とかミュージカルとかライブとか。もちろん映画とかドラマとかも。
劇場のアンケート、推しへのお手紙、あるいはSNSやブログで、感想って書きますか?
このブログでは何度か喚いているが、私は感想文というものがうまく書けない。
小童時代の読書感想文に始まり、映画のレビューも、舞台の感想もいまいちな人生を送ってきた。
勉強がでぇ嫌ェな私も、小学生の頃は付録と保護者向けの冊子を目当てに、進研ゼミ小学講座に入会していた。
小学講座の冊子というのはある程度お楽しみ要素が盛りだくさんでありつつ、学校生活に役立つ豆知識を載せてくれていた。今は知らん。
そう、進研ゼミ小学講座も夏休みの宿題攻略――読書感想文の書き方を教えてくれていた。
国語のなんとか先生が結構丁寧に解説していたのを覚えている。
なんとか先生「これで読書感想文はばっちりだよ!」
私はなんとか先生に励まされて、原稿用紙に心底思ってもいないことを書きなぐった。
書きあがった感想文を眺めて母は言った。
母「(原稿用紙)1枚だけ???」
小学生の私「ゼミの見本が1枚だけだから」
原稿用紙1枚、つまり20字×20行の400文字である。
母「もっと書かなくて大丈夫なの?」
小学生の私「これでもかなり引き延ばした」
母「改行多いし、後半スカスカだけど……」
小学生の私「感想が無いのが感想だから」
進研ゼミの先生に責任転嫁&クソな言い訳をする小学生爆誕。
得意科目は国語とか言っておきながら、真の読解力と作文能力は無かった。
マスを埋めるべく自分と人物を重ねて書こうにも、何も思わなかった。何も思いつかなかった。
そんなガキんちょが読書感想文など書けるわけがない。
さすがに翌年は反省して2枚(500字くらい)書いた。
~ 15 years ago ~
二次元オタクが推し俳優に出会い5年経過して落ち着いた話 - 食う寝るところに生きるとこ
最終的にはなんとか言葉を絞り出して書いたんですけど、考えすぎて脳みそがでろでろになっていたので、何を書いていたのかはもう覚えていません。
シブリ風に言えば「積み荷を燃やして」、伊達政宗風に言えば「即火中」の気持ちだったことは確かです。ファンレターに出演作の感想を書けるくらいなら、小学生時代の私は読書感想文のコンクールで賞を取っているのではないかと思います。嘘です言い過ぎました。
でも感想文が苦手なのは本当です。今でも上手く書けません。本は読むんですけどね、おかしいな。
小学校の頃は読書感想文が思いつかず、400字原稿用紙1枚だけで提出したことが有ります。
そのツケがまさかファンレターにまでくるなんて。
推しへの手紙を書こうとしても書けない人間が生成されました。
いや、べつに手紙に無理して感想書かなくてもいいとは思うんです。
でも私はかつて創作活動をしていた人間で、感想を貰えることがどんだけ嬉しいか知っている。
ところが私自身は、感想を書くのが苦手という言い訳をして、送る側にはほとんどならなかった。
だから今こそ、何かを伝えたいと思った。
しかしガキんちょ時代に積み重ねたbigなツケが回ってきたのだ。私はn回死んだ。
それでも私はここで奮起することとなった。
とにかく書かなければ。情熱のままに。
2次元のキャラに抱いていたような感想は迷惑になるってのはわかっている。
フィルターにかけるんだ。
私が推しや作品に対して思ったことをいったん全部整理して、綺麗な部分だけ残す作業。
ここでだいたい半分近く感想が淘汰される。
まぁ直接伝えるべきではないと思ったことは、ネットに出しても支障がないレベルのものだけブログに書いた。
手紙に書いたのは綺麗な部分だけだったかもしれない。
でも人間だもの。直接伝えるものは上澄みだけでいいのよ……。
(と言いつつ慣れてきたらブログでは好き放題書くようになりました)
いまでこそ1回でも満足して見終わるようになったが、かつて私は同じ舞台作品を3回とか見ていた。
推しを複数回見たいという気持ちが一番強かったのは確かだが、1回は物語や登場人物を追うのに集中しないと理解できないまま見終わってしまうからだった。
せっかく見に行ったのに物語も把握できずに終わりたくはない。
脚本がわかりづれぇとかじゃなくて、私の理解力がそもそも乏しい。
思い返せは、読書感想文だって2回とか3回とか読んでいれば違ったかもしれない。
理解力乏しいうえに「読みたくねぇつまんねぇ」とか思いながら読んだ1回なんて、文字を追うだけでしかない。
中学生になってから読書の時間というものが学校で設けられた。
各自半ば強制的に文庫本を買わされたが、感想文を書かなくてもいい読書は気楽だった。気楽だったので1冊を何度も読み返すようになった。
私は中1の春を機に、文庫本を自主的に買うようになった。
そして気づいた。
「書け」って強制されてるシチュエーションが嫌いなのだと。
推しへの手紙、見た舞台の感想は、私が書こうと思ったから書ける。
作品の選び方も、何をどう見ようとも私の自由だ。
わかったぞ!
「課題図書」!!!
「課題図書」の「夏休みの読書感想文」!!!
私は腹の底からお前が嫌いだ!!!
今となっては以前よりもマシに感想が書けるが、それは私の自由だからだ!!!
推しへの手紙がいまいちはかどらないのは、やはりフィルターの作業に手間取りすぎなのだ。
開き直ってからはスピードが格段に上がったので、工数割きすぎたなぁと反省はしている。
幸い、本を読むようになったこともあって、文を書くこと自体は苦手ではない。
自分に素直になりつつ、言葉選びに気を付けてさえいれば感想が書ける人間へと成長した。ここまでめっちゃ時間かかった。もういい年した大人やんけ。
もっと上手く書けるようになりたいなとまだ思っている。
無理のない感想をアウトプットしつつ、自分の本当の感想も大事にしていきたいね。
おわり